社長・髙橋純一の自己紹介です

□ 生い立ちと家づくりの思い。

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昭和36年、4月27日
髙橋家の長男、髙橋 純一 誕生。

髙橋家は、
父・母・姉と私の4人家族で


父は昔ながらの頑固な父
母は父の言う事を黙って聞きながら
一緒に働いていました。


昭和41年から主にハウスメーカーの
下請けとして創業しました。


当時の先代の時代は地元の不動産屋さんと
紹介等で仕事には困りませんでした。


その当時私自身は、小学校・中学校時代
建築業には全く興味はありませんでした。


むしろ嫌いでした。
母までもが、朝早くから夜遅くまで
現場に出て基礎工事の手伝いをするのを
見ていたのと、、、


更に現在とは違い
その当時の職人さんは強面の集まりみたいで
好きにはなれませんでした。
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1977年
私は地元の中学校を卒業しました。


料理が好きなところから
調理師を目指したいと思い
両親にその思いを伝えたところ
烈火のごとく反対されました。


その頃の建築業界は下請けでも
仕事が来る時代でだったので
渋々、親の意向をくみ
私は、建築科のある高校に進みました。


高校時代は主に建築関係のアルバイトに
精を出していました。
その中で大工職人に憧れを感じていました。


1980年
東京の工業高校の建築科を卒業後
(有)高孝工務店に入社しました。


当時の私自身は、
大工職人を目指していましたが
先代は工務店経営を学ばせたいと
思っていたようです。


当たり前なのですが
建築科を卒業したといっても
建築業の事は全くの素人です。


建築の経営をするのであれば
建築の中身が分からなければ
経営をする事が出来ません。


当時私は、21歳で結婚をしました。
義父も建築会社だったため
その会社で大工見習として雇ってもらい
職人として従事していましたが


バブル経済終了後、
父親がくも膜下出血で病に伏せた事で
(有)高孝工務店 2代目社長として
会社に復帰しました。


当時の受注先は、業者の下請けが90%で
バブル崩壊後は受注困難になりました。


職人はしていましたが地元とは別の所で
働いていたため、地元の業者の人脈が
何もない状態でした。


そんな時、地元の幼馴染の同業者
2社で営業から資材の購入までを
協力してきました。


私自身、建築業に関して
最初は職人としてスタートし
その後経営者として
建築業に携わってきました。


お客様の個々の声に耳を傾け
お客様の求めている事を肌で感じられるよう
日々、努力していきます。


怖いですが、日本は地震大国なので
耐震も大切ですが人が四季を通して
快適に過ごせるのも大事です。


安心安全で快適な家づくりに
邁進していこうと思います。


お客様に価値ある住まいを提供できているか。
私たちは、「今よりをもっと」を
常に目指していきたいと考えています。

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takako koumuten 代表取締役社長 高橋純一

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